日高見国 ひだかみ


 北上川を中心に、江合川・迫川が流れ注ぐ河口域は良好な漁場で、沼津貝塚・南境貝塚などの遺跡が分布している。『日本書紀』に伊寺水門としてみえる石巻を中心に牡鹿・桃生・登米・本吉の4郡は、古く日高見国と呼ばれていた。また、景行天皇27年(97)春2月、武内宿禰が東国視察から帰って「東夷の中に日高見国があり、その国の人は男女とも髪を椎のような形に結び、身体に入れ墨をして、勇猛で、これをすべて蝦夷といっている。土地は肥沃で広大である。攻撃して奪い取ったらいい」と奏上した。蝦夷征伐に関する最初の記録である。蝦夷と対決するため牡鹿柵や桃生城などが造られた。鎌倉時代には奥州総奉行葛西清重が支配し、石巻の日和山を拠点とした。豊臣秀吉の奥州征伐で葛西氏は滅亡した。伊達政宗の所領となった。

日高見神社 『延喜式』桃生郡6座のうちで、北上川の水の神を祀る日高見神社は、武内宿禰によって報告された蝦夷の日高見国の名を伝えている。桃生郡は北上川の下流地帯にあって、古代東北は日高見国とよばれる肥沃で広大なところであった。日高見の人々は日の本の民であり、北海道の日高山脈もこの人たちがよんだのかも知れない。日高見神社から4.5km離れたところに和泉沢古墳群(県史跡)が8世紀から9世紀にかけ約50基の小円墳からなる群集古墳がある。



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